名前:アンドレ・アガシ→テニス365選手名鑑へ 生年月日:1970年4月29日 出身地:アメリカ、ネバダ州ラスベガス 身長:180センチ/体重:80キロ 利き手:右利き(バックハンド両手打ち) プロ転向:1986年 生涯シングルス戦績:868勝273敗 生涯シングルスタイトル数:60 生涯ダブルス戦績:40勝42敗 生涯ダブルスタイトル数:1 獲得賞金:3111万975ドル 四大大会成績:全豪オープン優勝(1995年、2000年、2001年、2003年)、全仏オープン優勝(1999年)、ウィンブルドン優勝(1992年)、USオープン優勝(1994年、1999年) ※2006年8月22日現在 |
アンドレ・アガシの足跡当時では珍しい奇抜なファッション が目を引いた 1992年ウィンブルドンで四大大会 初優勝を果たした。
4歳で初めてラケットを握ったアガシは、35歳になった今、遂にそのキャリアに終止符を打とうとしている。1986年にプロ転向し、20年にも及んだ現役生活は、常にトップでいたわけではなかった。
1999年全仏オープンで生涯グランドスラム を達成した。
1997年に入ると、それまでとはうって変わってツアー優勝はおろか、満足に試合にも勝てない状況に陥ってしまう。世界ランキングは下がり、定位置となっていたトップ10から100位圏外まで一気に落ちていくこととなる。 「アガシの時代は終わった」と心ない批判が大勢をしめて行くなか、アガシだけは自身の復活を信じていた。復活をかけたアガシは、新たにコーチにブラッド・ギルバートを招き、プライドを捨てチャレンジャー大会の転戦するという荒治療を決行することになる。
惜しくも準優勝に終わった2005年 USオープン
しかし、そんなアガシも歳には勝てない。30台に入ると、徐々に身体の無理が利かなくなり、腰の持病を悪化させるなど満足にツアーを転戦することが出来なくなってしまう。2005年8月、メルセデスベンツ・カップでキャリア60勝目をマークするという金字塔をうちたて、USオープンでも決勝進出を果たすなど大活躍を見せたアガシだったが、それは痛み止めの注射を限界まで打ち続け、自身の身体を酷使することでなしえたものでもあった。今年6月、自身最後のウィンブルドンでR・ナダルの前に完敗を喫したアガシ。颯爽とリターンエースを奪うかつてのアガシの姿はもうそこにはなかった。
アンドレ・アガシ関連記事
フェデラー対アガシ、新旧王者の戦い―全豪オープン(2005年1月25日) |
アンドレ・アガシの記録
生涯グランドスラム
男子テニス選手史上唯一のグランドスラム大会全制覇&オリンピック優勝.。男子テニスでは、生涯グランドスラムを達成した5選手の1人(その他は、F・ペリー、D・バッジ、R・レーバー、R・エマーソン) 連続グランドスラム決勝進出
オープン化以降、4大会連続でグランドスラム決勝進出(1999年全仏オープン優勝、ウィンブルドン準優勝、USオープン優勝、2000年全豪オープン優勝)を果たした3選手の1人(その他は、R・レーバー、R・フェデラー) グランドスラム最多出場
オープン化以降、グランドスラム最多出場(2006年ウィンブルドンで60大会目)。グランドスラムでの勝利数、220勝は史上3番目の記録(1位はJ・コナーズの233勝、2位はI・レンドルの222勝)。 優勝した年の数
オープン化以降、18年間、年に一度はツアー1勝をあげた唯一の選手 ツアー決勝進出
1987年から2005年の間に、90回のツアー決勝進出(60勝30敗)で、そのうち15回のグランドスラム決勝進出(8勝7敗)。また全てのグランドスラム大会で少なくとも2度の決勝進出。 トップ10在位
16年間に渡って年間最終ランキングでトップ10に位置。5位を除く全てのトップ10ランクを経験。3つの異なる年代で、全てトップ10入りした唯一の選手。 最年長ナンバーワン
INDESIT ATP RANKINGの最年長1位記録保持者(2003年5月11日、33歳と13日で1位となり、14週間在位) デビスカップ
アメリカ代表として、デビスカップで3度優勝(1990年、1992年、1995年)。22度の代表で通算30勝6敗は、J・マッケンローに次ぐ記録。 マスターズ・シリーズ
※ATP『AGASSI CAREER SUMMARY』より引用
1990年以降、マスターズ・シリーズで17勝は史上最多記録。 |