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テニスのグランドスラムであるUSオープン(アメリカ/ニューヨーク、ハード)は大会10日目の9日、女子シングルス準々決勝が行われ、ノーシードのY・ウィックマイヤー(ベルギー)が、同じくノーシードのK・ボンダレンコ(ウクライナ)を7-5, 6-4のストレートで下し、自身初となるグランドスラムでのベスト4進出を果たした。
世界ランク50位のウィックマイヤーは、第1セットを先制した後の第2セットで同50位のボンダレンコにゲームカウント1−4とリードを許してしまう。しかし、そこから5ゲームを連取したウィックマイヤーが逆転で第2セットも奪取し1時間41分で試合を決めた。
わずか9歳のときに母親を亡くしたウィックマイヤーは、故郷であるベルギーから引越し、フロリダにあるテニスアカデミーに通うことを決断する。当時、ウィックマイヤーはテニスを始めたばかりであるばかりか、英語もろくに話せなかったが父親であるマルク氏は反対しなかった。
そして10年後、ウィックマイヤーはグランドスラムの大舞台でベスト4に進出する。大きく成長した愛娘についてマルク氏は「素晴らしい瞬間だ。だけどヤニナといるときは全てが素晴らしい瞬間だよ。」と愛情こめて語っている。
19歳のウィックマイヤーは、これまでグランドスラムでは2回戦すら突破したことがなかったが、今大会では同胞の大先輩であるK・クレイステルス(ベルギー)に続きベスト4入りしただけではなく、準決勝ではM・オーディンか第9シードのC・ウォズニアキ(デンマーク)との10代対決を行うこととなった。
マルク氏はベルギーでプールの建設会社を運営していたが、タンパに移り住んでからしばらくは仕事をせず、彼らの親戚からの金銭援助を受けながら娘をテニスアカデミーに通わせていた。それは、ウィックマイヤーの母が病の床に臥しているときも仕事に没頭していたマルク氏に対し、この世を去る前の妻に彼女が去った後は娘のために尽くして欲しいと言い残されていたからだ。
9歳である自分の望みを叶えてくれた父についてウィックマイヤーは「父は私のために全てを諦めてくれた。9歳の女の子の話を聞いてくれて、人生も夢も全てを捨てた。だから、父のことをいつまでも尊敬しているわ。」と語っている。
「私達は私達の人生を歩んでいますし、それに満足しています。次の日を待つのも嬉しいことです。」と語ったウィックマイヤーは、アメリカに移ってから2年半後、故郷であるベルギーに帰郷している。
母親の死という悲しみを乗り越えて鍛えられた闘争心でベスト4の座を勝ち取ったウィックマイヤーは「人生とは何か分かっていますし、多分、私の精神年齢は皆が思っているよりも年をとっているかもしれないです。時々ただの19歳の女の子のになりたいときもあり、簡単なことばかりではありません。だけど、それが人生だと思います。」と語っている。
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