■テニスGEEK通信(TENNIS GEEK NEWS)とは
テニスギアの「モノ」や「コト」を、深堀し、マニアックに、そしてGEEK(ヲタク)にお届けするコラムです。
ウインザーラケットショップ池袋店スタッフの中居が独自の目線で話題の商品を紹介します。
テニスに関する仕事をして30数年になる大ベテランですが、まだまだヤル気満々でテニスコートに立っているシニアプレーヤーです。
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「記憶に残るラケットベスト5を発表します。」
18歳でテニスを始めて、40年が経ちました。
高校時代はまじめにサッカー(ポジション:ゴールキーパー)していたので、大学ではサッカーをするか、体育の授業で面白さを知ったテニスをするか悩みました。
悩んだ末に、体育会庭球部に入ったのですが、毎朝のクレーコート整備と学ラン着用でめげてしまい、1週間で退部してしまいました。
1980年代はボルグ、コナーズ、マッケンローの活躍もあり、テニスサークルは大人気で、有名サークルの部員募集はすでに終わっており、出来たばかりの弱小サークルに入るしかありませんでした。
週2.3回の練習では飽き足らず、ほぼ毎日、大学にはラケットを持参して、ラケットを持っている仲間を見つけては中庭でボレーボレーをしていたのです。
現在でもネットプレーが好きなのは、恐らくこの時のボレーボレーが影響しているのと、高校時代にゴールキーパーをしていてPKを止めるのが得意だったことに起因しているように思います。
PKを止めるのとパッシングに反応するボレーは感覚が似ているのです。
大学に入って、初めて買ったラケットはヤマハのYWG33と言うウッドで、グリップサイズがあることなど知らずにLM4 5/8を買ってしまいました。
重さはL(ライト)LM(ライトミディアム)H(ヘビー)があり、4 5/8インチは現在のサイズ表記だと5になります。
ちなみにLMで360gくらいありました。
グリップの周囲を測ると、4インチといくつと表示されるのですが、8分の5は5、2分の1は8分の4だから4、8分の3は3、4分の1は8分の2だから2、8分の1は1というように、分母を8にしたときの分子の数字を1、2、3、4、5と言うようになったのです。
ウッドの頃は、フェース面積も小さく約70平方インチでした。
今思うと当時行ったショップの店員さんはグリップサイズがあることを教えてくれませんでした。
ボルグが好きだったので、適正テンション以上で(多分70ポンドくらい)張って使っていたら歪んでしまいました。
その後、プリンスからフェイス面積の大きいラケット=デカラケ(110平方インチ)が発売されブームがやってきますが、当時、私の回りでは誰もデカラケは使っていませんでした。
ウッドラケットが1万円から2万円だったのに対して、3万円以上したので学生はそもそも手が出なかったのです。
しかし、昔から新しもの好きだったので、ウイルソンのエスクトラ(アルミ製の110平方インチ)が3万円切っていたので即購入に至りました。
その後、セミラージ(85平方インチ前後)ラケットが生まれ、プロケネックスのブラックエースがヒットしました。
素材もグラファイトとグラスファイバーがコンポジットされるようになり、まだまだウッドラケットからの移行期だったので、ラケットの特性をわかりやすくするために、レギュラー対比22%アップ(セミラージのフェース面積)とかレギュラー対比50%アップ(ラージサイズのフェース面積)とか、グラファイトとグラスファイバーの比率を表すために、80/20、70/30などと表記していました。
スポルディングで80/20という名前のラケットがあったくらいです。
この頃ヨネックスから発売されたR-22は空前の大ヒットを記録し、世界のトッププレーヤーから初心者まで使えるラケットで、価格もネーミングの通り22,000円と手頃だったこともあり現在のピュアドライブ以上の使用率だったかもしれません。
20人くらいで来店した高校1年生全員がR-22を購入するといった現象が起きていました。
画像提供:ヨネックス株式会社
私は同時に発売したナブラチロワが使用していたR-27(ボロン使用)を使っていました。
画像提供:ヨネックス株式会社
この頃使用したラケットは、プロケネックスRK-96、プロケネックスコンポジットドミネーター、プロケネックスブラックエースマイクロ、ウイルソンスティングミッドプロ、ウイルソンプロスタッフミッド85、プリンスグラファイト110、ルコックヤニックノアなどです。
画像提供:アメアスポーツジャパン株式会社
画像提供:グローブライド株式会社
素材革命、デカラケ革命でウッドラケットは消滅していくことになります。
この後、ウイルソンから発売されたプロファイルから厚ラケ革命が起こります。
それまで、フレームの厚さを気にしたことはなかったと思います。
厚ラケ出現で飛びが大きく変わり、各メーカーが厚ラケの発売を開始し、プリンスサンダースティック、ダンロップインピーダンスなどのヒット商品が生まれました。
画像提供:グローブライド株式会社
画像提供:株式会社ダンロップスポーツマーケティング
デカラケの時もそうでしたが、ウッドからいきなりデカラケだとコントロールできない人や抵抗を感じる人がいて、程々のセミラージが生まれました。
厚ラケの出現で誰もがみんな驚いたのですが、20mm以下が当たり前だったところに35mm前後のラケットに対して、飛び過ぎてしまう、スピンがかからないなどの理由から、程々の中厚が生まれました。
この頃使用していたラケットは、プリンスサンダースティックOS、プリンスボルテックスOS、フィッシャーバキュームツインテックプロ、ブリヂストンBXなどです。
画像提供:グローブライド株式会社
画像提供:グローブライド株式会社
画像提供:ブリヂストンスポーツ株式会社
画像提供:ブリヂストンスポーツ株式会社
思い出に残る逸品として今でも手元にあるのは、フィッシャーのバキュームツインテックプロ。
おぼろげな記憶だと1990年頃、バキューム(真空)製法で厚さ10〜12mmくらいの二つのフレームを作り、衝撃吸収素材を真ん中にサンドイッチした画期的な構造のラケットで、ノングロメット、トップバンパーはスキー板の滑走面素材を内蔵、グリップ部はウレタンなしのダイレクトカーボンでした。
二つのフレームを貼り合わせることで、しならないし、捻れないので反発力は異次元クラスで、芯に当たったときの爆発力とノングロメットからくる打球時の爽快感は今でも覚えています。
F1マシーンのハンドル操作(運転したことはありませんが)の如く、スイング軌道の中にコントロールできるインパクトは1点しかなく、そこに当たるとエース、外すとミスの繰り返しで、結局操ることは出来ずにお蔵入りしました。
その10数年後にプリンスからMOREシリーズが発売され、二つのフレームを貼り合わせたノングロメット製法で、ツインテックに似ていると思ったのですが、フィッシャーのラケットのことは忘れさられていて、まったく話題になりませんでした。
このMOREラケットを土台にその後開発される画期的なO3ストリングシステムが生まれたのです。
その少し前にストリングメーカーだったバボラがラケット業界に参入し、発売したのが今でも売れているモンスターラケットピュアドライブです。
画像提供:グローブライド株式会社
画像提供:グローブライド株式会社
画像提供:株式会社ダンロップスポーツマーケティング
ストリングメーカーならではの発想で開発されたストリングの可動域を広げる工夫をしたウーファーグロメットは20年経った今でも生きています。
ピュアドライブの発売以降、スタンダードになったのがラウンドフレームと黄金スペックです。
それまではボックスフレームが中心だったラケットがラウンドフレームが中心に変わっていきました。
ラウンドフレームは変形率が低く、空気抵抗が少ないためにハードヒット時のボールスピードが速いのにそれをスピンでコントロールできる構造でした。
各メーカーから打倒ピュアドライブが発売されましたが、ウーファー機能を凌駕するまでには至っていないようです。
この頃に使用したラケットは、プリンスO3ブルー、プリンスEXO3ブラック、バボラピュアドライブ、ダンロップアドフォース(白いデザイン)、ヨネックスRDS001などです。
画像提供:グローブライド株式会社
画像提供:グローブライド株式会社
画像提供:グローブライド株式会社
画像提供:株式会社ダンロップスポーツマーケティング
画像提供:ヨネックス株式会社
画像提供:ヨネックス株式会社
2002年に発売されたダンロップスペースフィールプライムは現在のスリクソンレヴォCS10.0に受け継がれており、この15年後に出会うことになろうとはこの時はまったく思いもしませんでした。
画像提供:株式会社ダンロップスポーツマーケティング
画像提供:株式会社ダンロップスポーツマーケティング
その頃から現在までの使用ラケットは、ヘッドスピードMP(初代の真っ白なデザインでかっこよかったです)、ヨネックスVコアツアーG、ウイルソンウルトラ100、ウイルソンプロスタッフ97(赤黒)、バボラピュアアエロ(初代)、スリクソンレヴォCX4.0、スリクソンレヴォCS10.0、スノワートビタス115などです。
画像提供:アメアスポーツジャパン株式会社
それでは、最後に、記憶に残るラケットマイベスト5を発表します。
記憶に残るラケットマイベスト5
第5位 プリンスグラファイト110(ノングロメット)
発売当時9万円のラケットで、数年後に値下がりし購入。その後に発売されたグラファイトより柔らかい打球感が好きでした。
第4位 ウイルソンプロスタッフミッド85(セントビンセント)
コナーズが開発に関わったのに、発売時には契約メーカーが変わってしまい使用せず。
ブレイドカーボン、フェアウェイグリップレザーなどその後のこだわりラケットの基準を作ったラケットでした。
第3位 スリクソンレヴォCS10.0
2002年発売から、ブランド名、ラケット名を変えながら今も生き続ける魔法のラケット。
若い頃のパワーがなくなってきたと思ったら使ってみてください。
第2位 バボラピュアアエロ(初代)
1球も打たずに買ったラケット。
大ヒットしていたアエロプロドライブをモールド、ウーファーグロメット、コアテックスなどすべてを初めから作り直したことへのオマージュとして使い始め、過去最高にテニスの調子が良かったが、調子に乗り過ぎたのか肘を壊してしまい泣く泣く使用をやめてしまった思い入れのあるラケット。
第1位 フィッシャーバキュームツインテックプロ
本文でも書きましたが、画期的な製法で30年前にこれほどのラケットを作っていたフィッシャーに敬意を表して1位とさせていただきました。
皆さんもマイベスト5を作ってみてはいかがですか。
昔使っていたラケットから思い出すテニス仲間やその当時の試合の記憶が蘇ってきて、懐かしかったり、悔しかったり、色々思い出して楽しいですよ。
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